ヒューマニズムには二つの意味があって、一つ目は「博愛主義」つまりいわゆるフィランソロピー(英: Philanthropy)を意味するものであり、人類愛にもとづいて人々の「well being」(幸福、健康、QOL等)を改善することを目的とする利他的活動や奉仕活動を指すが、それは時に純粋な慈愛というよりも、ともすれば自己中心的で上から下を見下ろすような高慢な視線になりがちである点で、その動機が落とし穴になりやすい。
— 生き方モデル —
ヒューマニズムの落とし穴
2017-07-04
二つ目はいわゆる「人文主義」と呼ばれるもので、超自然性の存在を否定し理性・倫理・正義を信奉するが、天(神)などこの世を超越した存在への信仰を要さずとも人はニヒリズムに陥らず道徳的たりえるとする立場の総称であり比較的近代になり20世紀初頭に生まれたものである。そしてこの両者は意識として言葉として行動として、時に混同して使われることが多い。
ハイデッガーの近代の合理主義的人間観への批判
マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年9月26日 – 1976年5月26日)はドイツの哲学者であるが、彼の主張におけるヒューマニズムへの批判は、簡単にいえば、人間とは何かということを理性や合理主義に求めること、すなわち、理性によって人間性の本質は発見できるという考え方に向けられていた。つまり、
近代以降の価値観が合理的理性の発見であったとするならば、古代・中世前期までの人間観では、あらかじめ人間には定まった”本性(ほんせい、本来の性質。そのものとして欠くことのできない性質)”が与えられていると考えること、これを「目的論的人間観」といい、論理的に考えて発見するというより、人生の目的ははじめから持って生まれてくるのであり、そして人間の理性は真理や摂理として導かれるものから発するという価値観である。古代から中世前期にかけて多くの人間はこうした人間観をもっていたと思われるが、こうした人間観は科学革命などによって社会構造が近代化するにつれ、自然科学というものによって破壊されてしまったと彼は主張するのである。言い換えれば間違ったものに置き換えられてしまったといってもよい。
要するに善や真理の根拠を、天(神)でなく理性的な人間の中に見いだそうとするものがヒューマニズムであり、西欧近代的な価値観に基づく「理性的」な人間を想定し、理性中心主義・西欧中心主義に通じる概念である。実は、これらは宗教的には見えないかもしれないが、宗教化しやすい思想、つまり、自己中心な人間を中心とした間違った考え方である。
つまり「天(神)から与えられた人生の目的・使命に進む」や「天(神)とともに歩む」ではなく「自分の自己中心的な自己実現を目指す」という考え方の延長線上に置かれたものなのである。そして、人類史上、このような人間中心の考え方が、真の富を毀損(きそん)し、真の豊かさから遠ざかり貧困を招いたと考えられるのである。
よって人がヒューマニズムに染まってしまうとかえって「物事の本質の理解が鈍くなる」「真理(正しい道理、最古の昔から確実な根拠によって本当であると認められたこと)を聞いても理解できなくなる」「真理を拒絶するようになる」ということになっていく。これは宗教が人の思考を停止させてしまうのと同じで、霊的豊かさに気づけなくなり、惑わされている状態であるので、自分だけでその惑わしから脱却するのは難しくなる。これも現代社会に多く見られる混乱の一種なのである。特に、われわれ医療関係者にも多い、いわゆる良心的なスペシャリスト(専門家)によく見られる落とし穴である。