
ずいぶんお久しぶりです。前回の投稿からずいぶん間が空いてしまいましたが、じつは2020年の2月に入り急に体調を崩し、一か月以上入院することになったのです。
結果的には奇跡的に回復し通常どおりに診療に復帰できたのですが、私にとってはとてもいい経験になりました。今では本当にあの時、病気になってよかったと感じています。そういう経緯があり、復帰後は健康第一と考えブログの投稿は休止しようと思い、現在まで何も投稿せずにいました。いろいろ忙しくブログの存在も忘れてしまっていたほどでした。
しかし、ある人からあるきっかけで私の話をもっと聞きたいとおっしゃっていただいく機会があり、「そういえば昔、入院する直前までいろいろ書いていたブログがあったなぁ~」と、ふとこの場所を思い出したのです。
そういう出会いに今とても感謝しています。
そこで今日は、「偶然と必然」というテーマで書いてみようと思います。
さて、何か物事が起きた時に、それを偶然なのか必然なのか、あるいはその両方があり得るのか、どの立場を取るかでも大きく物事の前提が変わってきます。
物事の多くが偶然であるのなら、確率論で物事が説明可能ですが、物事が必然的に起こる場合は、確率論ではなく、物事に何らかのロジックが存在することになります。
例えば、物事には予兆のようなものがあります。良い話も悪い話もそのように考えることができます。
「何か嫌な予感がした、壺を落とした」として、そのあとで「結果として嫌なことが起きた」とします。
これを偶然と取るか、何らかの必然、予兆と取るか?
あるいは、自分の人生を良い方向に変えるような人との出会いがあった場合、
これを偶然と取るか、必然と取るか?
もっと根源的な話では、自分の環境や自分の幸か不幸かなど、あらゆる出来事はどちらの立場を取るかで大きく話が異なってきます。
多くの人の幸不幸が単に偶然の確率論だけで決まるとしたら、かなり悲観的な世界観になります。一方で、何らかの意味を持つと考えることが出来れば世界を前向きに捉えることもできます。
サナーレのマインドセットのコーチングの中ではたとえ悪い出来事だとしても、一つの「意味ある試練」として考え直してみることを推奨しています。
物事が起きる時、それが偶然なのか必然なのかはわからないかもしれませんが、何らかの出来事に対して、どのような気づきを得られるのか、どのような意味があるのか考えることは、使命を知る手がかりになります。
物事を偶然と考えてしまうとあまり気づきがなくなってしまいますが、何らかの必然ととらえて物事の意味を考えると気づきが得られやすくなる、ということになります。
というわけで、きっとこのブログを更新できたのもなんらかの意味ある必然なのだろうと思います。
PS)最近、私はまたいろんな新しいことに取り組み始め多忙な毎日になっていますので 投稿の頻度は少なめになると思います。それでも再開できたことはとてもうれしく思っています。
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