
世の中には最初に作られた本物と、後天的に作られた偽物があるが、精神医学と精神医療についてはどう考えたらいいのだろうか?結論を先に言えば「まだ一度も本物が作られてはいない」と言わざるをえないと思う。
それを考えてみる時、歴史上3つの視点の変遷により「治安・保護モデル」から「診断・治療モデル」へ、そして「心理・社会・福祉支援モデル」へと、確かに良くなってきているようにも見える。しかしそれは、患者の人権や人道的処遇という側面において、あるいは病者から生活者の視点の重視という側面において、最初に作られた最もひどい偽物から少しずつマシな偽物へと改良されてきたに過ぎない。それが証拠に、一度精神疾患を抱えると患者は、豊かで充実した人生(いわゆる人生の成功)から遠ざけられてしまうことが多い。わかりやすく言うと、結局は前述した3つのモデルによりその生き方が縛られてしまうことが多いのである。これは人を自由にする、真の自由へと導くという観点から見てその本質には程遠いのだと思う。
では、真の自由とは何か?それは「この世の何からも支配されない」ということである。そんなことが出来るのか?と疑問の方もあるとは思うが、少なくともそういう生き方ができるようになると、たとえ一時的に精神医療や福祉政策を利用したりせざるを得ないことがあっても、あるいは長期に利用せざる得ない理由があるにせよ、人は豊かで充実した人生に向かうことが出来るものだと考えている。
日本語には「天命を生きる」「天寿を全うする」「天職を得る」など、実は天のつく言葉は多くそれらは人の生き方を表す。「この世の何からも支配されない」ということは「天にのみ従って生きる」ことを意味する。天の権威にのみ従うという意味である。人が天の権威に従う時、それによって人に権威が与えられる。現代人は日常語として上記の言葉をよく使うものの、そういう視点で自分の生き方を考える人は少ない。
ある意味ではこのブログの最初で書いた二分脳仮説において、人間がまだ自意識を持たない時代に左脳が右脳のメッセージに従い生きていたことと同じである。彼らが言語を持ち始めた頃、その様子を尋ねるならばきっとこう答えただろう。「いつも天に聞き、天に従って行動しました。自分にとって苦しいことであってもそうでした。それゆえ、この世の何からも縛られない権威を、天から与えられました」。そしてこれが「真の自由」の本質的な意味である。
追記 これはいわゆる自然権や天賦人権論などでいう基本的人権とは別の次元の概念である。基本的人権はあくまで与えられるというよりも平等に保障を求めるものである。この世における権力の支配に対して使用する言葉である。一方、権威はアプリオリに天から与えられるものでも、この世の権力から付与されるものでもなく、天に従う者においてその条件のもと、初めて天から与えられる(継承される)ものである。
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