
前項で、病気にも意味があると書いたが、言ってみれば人にとって、良いことや、あたりまえと思うことだけでなく、一見すると悪い事(病気になる、会社をクビになる、人間関係のトラブルに会う、お金が無くなる等)にも意味があるのであり、逆に言えば、すべてのことに意味と価値がある、それがあなたにとって試練と呼ぶべき苦悩を引き起こすような出来事であっても、あなたに意味のない試練が与えられることはないということである。
そしてその意味と価値を知るためのもっとも大切な入り口が、「すべてのことに感謝すること」である。前もって意味と価値が在ると知っていれば感謝もできるかもしれないが、それがわからないからそんなことに感謝できるわけがないではないかという人もいる。
最近、病棟で入院している患者さんたちに「生き方モデル」の話をしていると、ある方がこう言った。「わたしも医療現場で働いていたので、幼くして病気のため長く生きれず死んでいく子どもたちをたくさん見てきた。天はこの子たちを見捨てるのかと残念でならなかったし、たとえ私の人生が生かされているとしても素直に感謝する気になれない・・・せいぜいその子が天国に昇ってほしいと願うだけです」とのこと。
人の気持ちとしてもっともな意見である。この世に起きるさまざまな悲しい出来事に遭遇し、厭世的になったり、天(神)や自然の摂理などの配慮なんてそもそもありはしないのだと世俗的に傾いてしまうことはよくあることである。しかし、病気の幼い命を救うのはそもそも「人の責任」であり、天の仕事ではない。人が果たすべき責任を果たせないからといって天に感謝できないことはそれ自体が責任転嫁でもあり的はずれなことである。
また、死後に天国に行ってほしいと願うのはもっともでもあるが、いわば天国のような環境をこの世に創っていくことこそがこの世を生きる人の責任であり、例えば、幼い子供が病気によって死んでいくような世の中を、永続的に良い方向に変革していくということ(救命率を上げる、そもそも病気を予防する等)が、人の使命(人生の目的)として与えられていることに気づくために、その出来事が在ると考えられる。
以前にも書いたが「天の願いと人の責任」のバランスの中に「どう生きるか?」ということの答えがあり、そのことを知るために、その入り口として「感謝」がある。悲嘆してはいけないと言っているのではなく、悲嘆をいたずらに引きずらず、責任転嫁に終わることなく「悪いことも含めすべてのことに感謝する」ことから導かれる自分の人生の目的に気づき、そこにコミットしていくことで、むしろ、亡くした命は永遠の命へと紡がれていく可能性が開かれるということに気づく必要があるのである。
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