生き方モデル

病気にも意味がある

 病気にも意味があるというのは、自分が病気なったことにはその人生の中での何らかの意味があるということである。働きすぎて病気になったのであれば、その働きすぎが本来のその人の生き方から外れ、的外れになっていることに気づくように病気が与えられているということである。あるいはまた、病気になってはじめて健康の大切さを知り、今まで自分があたりまえだと思ってきたことにも、生かされていたんだという意味に気づき、それに感謝できるようになるということである。

 つまり、そのような意味で、病気にも意味と価値が在ることがわかり、自分が生かされていたことに感謝できるようになると、次に人は、自分が生かされてきたのは、つまり自分の力だけではない大きな愛(偶然と思えるようなことにもいわば、大きな摂理による配慮という意味での愛)があったこと、自分が愛されていたということに気づく。そしてそのことを通して、健全な自己愛が再生され自分にはなんらかの価値があって生かされ愛されてきたことがわかるようになり始める。つまり、生かされるということは理由もなく生かされているのではないということに気づき始めるのである。そしてその価値すらも自分が見失っていただけで、すでに与えられていたんだと気づく。そして人生の節目節目ではそれに気づくような配慮がなされていたんだということがわかり、それにも気づかず、自分がいかに的外れであったかがわかるようになる。
 すべては、自意識が自己中心的に考えたり思ってきたことの逆、あるいは単なる視野狭窄や思考停止であったことに気づくのである。つまり、自分で生きてきたつもりが生かされていたんだと、自分は愛されているはずはないと思い込んできたけど、実は愛されていたんだと。このことに、頭で理解するだけでなく深いレベルで気づけると人は喜びに浸される。単に喜ぶという、いわゆる気分や感情のレベル以上の、ただ存在することの喜びである。歓喜というものとは違う、むしろ静かでありながらも、ありがたくて泣けてくるような、命が与えられているということとその価値へのの深い喜びであり、または、たとえこの世に何が起きても大丈夫と思えるような深い安心感や信頼感でもある。
 最近、うつ病を患う学校の校長先生が、「式典で命の大切さを生徒に訓示しなければいけないけれど、うつがひどくて思考力が低下して何を話せばいいのか浮かんでこなくて困っている」と相談された。私が上記のような話をして差し上げると、「診察以外の相談にも乗っていただいて参考になった。自分の気づきにもなりました。これで訓示が出来そうです」と喜んでおられたが、「なんでも診察になりうるので何でも相談してくださいね」と言うとニコっと笑ってくれた。よかったと私も思った。
 現代の精神医学はほとんど大切なことを教えない。そしてかくいう私も、教えたくても時間的制約が多すぎて(たくさんの患者さんを短い時間で診療しなければいけない状況)十分に伝えたいことを伝えられない。何かもっと別の仕組み(医療や福祉の枠にとらわれない)が必要だと思い、昨年からいろんな試みを始めたところである。