
「願いのなる木」というのは、私たちが昨年から始めた精神科訪問看護ステーションの名称である。これまで述べてきたように、人間はそもそも天の願いを豊かに実らせる(実現する)木のような存在である、木も人も同じなんだという意味である。人間も、自己中心的な願いを自己実現するために生きると的外れになり、逆に存在自体で豊かであることを知り、天の願いをその枝に実らせるように生きることで、木のように充実した豊かな人生(つまり成功した人生)に導かれるという意味である。木は太古の昔から豊穣な生命力、生産力の象徴であり、生物多様性の維持に大きな意味をもってきた。
では、天からの木への願いとはなんだろうか?
「あなたには水や太陽や大気や大地がすでに与えられていることに気づきなさい。それにいつも喜んでいなさい。そして、例え雨風が強くてもそれはあなたの幹を太く強くするためだと知りなさい。あなたの葉の緑や花でまわりを彩ってあげなさい、あなたのつけた実でそれを食べ物とする鳥や他の生き物を生かしなさい、そしてその枝で鳥や生き物を休ませてあげなさい、そうすれば鳥たちもあなたの願いのように実の中の種を遠くに運んでくれるでしょう。そしてさらにはあなたから落ちた枯葉によっても、それを大地の養分となるようにしなさい。」
願いのなる木とは人間にも同じように、一人一人にすでに与えられている良きことを知ってもらい、それをいつも喜んで生きれるように支えていこう。そして、一人ひとりに降り注がれている願いに気づいてもらい、その実がなる方向へと、そのような生き方を支援しようという活動のことである。ここでいう願いとは、具体的な誰かが誰かに、といった人が人に何かを願うといった次元のものではなく、また、自己の願望を実現したいと自分が願うというものでもなく、もっと大きな、まさに高い視点からの願いである。このことに気づけるかどうかがアウェアネスを促進する支援のメイン・ストリーム(主軸)になる。
私たち支援チームはそのために「良い質問」を用意しなければならない。具合はどうか?お薬は飲んだか?困っていることはないか?困りごとに対して傾聴し受容する、助言するなどの医療福祉モデルの質問や援助だけではなく、その人に天(神)から降り注がれている願いに対して、開かれた質問をすることからスタートする。例えば天や神というメタファーに抵抗感があれば、最初はわかりやすくこう聞いてもよい。「あなたのことをいつも遠くから大事に思ってくれている親友のような存在があるとしたら、今日一日、あなたにどう過ごしてほしいと願っているでしょうか?特に今日、そして明日から何をしたらいいと願っているのでしょうか?」「あなたが今日一日を安心して過ごすために、その人はどんなアドバイスをくれるだろうと思いますか?」などである。
もちろん開かれた質問は、閉じた質問(はい、いいえでも答えられる質問)に比べ、返事がすぐには浮かばず言葉にならず答えにくいものでもある。そこでは焦らず待つ。ただし、ただ一歩引いて待つのではない。待ちながらもその人の迷いや言葉にならないもやもやに対して、自然で素直な反応を返しながら、応答的で共感的な態度で待つ(共感そのものが目的ではない)。私たちスタッフはそのようなもやもやする不確実な時にあっても、喜んで耐えて待ちながらも、真の目的に関与(コミット)していく力量が求められる。
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