精神医療

心のバランスの真の意味

 天や神、あるいは仏や霊などの言葉は、人類の言語文化や生活の中に浸透している言葉である一方で、それは何らかの「メタファー」である。メタファー (metaphor)とは、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、それが持つ機能については、やはり、あの枢軸時代を生きた哲学者アリストテレスによってはじめてその意義が提唱された概念である。彼の言葉によれば「通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」とのこと(ただし、ここでのメタファーは精神分析派がいうようないわゆる無意識概念にするつもりはない。このことについてはいつか論じてみたいと思う)。

 要するに、人間が言語を獲得し、自意識とともに心が誕生したのちにも、言語では言い表すことの困難な何かを伝えるため、あるいはそこから何かを得るための機能をもつものだと考えられる。近年においても、メタファーは単なる言語としての要素というよりむしろ、人間の認知と存在の根幹に関わる要素だという認識が一般的である。
 したがって、本来、わたしたちは、冒頭のようなメタファーとしての言葉をたよりにそれを入り口としつつ、自分の人生や生き方における混乱から抜け出し、その認知(正しいものと間違ったものを見分けること)や存在(自分の存在の意味、生まれてきた目的、生きる目的の理解)の本質に気づく可能性を持っていると言える。
 しかしながら、以前(宗教は本物か偽物か?)に述べたように人間は、そのメタファーが指し示すものを宗教化、儀式化、形式化、組織化してしまったがゆえに、長い混乱の時代を迎えることになったのであり、そのことと同時に、人間がたどる混乱には、世俗化、即物化、虚無化、アノミー(無秩序)化という方向性も顕著であった。つまり、人間は本質を忘れ、「宗教的(どうすべきか?どうあるべきか?)「世俗的(どうしたいか?どうしたくないか?)」などの方向へと自意識が動員されやすい生き物(動物)なのである。
 この状況は現代社会も同じであり、人間は今もこの両方の間で揺れ動き(どちらかに倒されやすい)、いくばくかの技術(産業技術、科学技術等)やいくばくかの社会制度(政治、経済、社会保障等)を、作っては壊し、作っては壊しの連続で豊かさと貧困のアップダウンの中にある。
 人の「精神」はそもそも、文字通り、素直にそしてシンプルに読むと、「精」「神」の二つのメタファーから出来ており、逆に現代の精神医学が「精神」をどう定義しているにしても、むしろ、そのような切り口から考えるのが最も自然であるように思う。そしてこれらの二つのメタファーの良好なバランスの中に「どう生きるか?」の本質的な理解があるのではないかと考えている。それを別の言葉でわかりやすく表現すれば、「神の願い」と「人の責任」のバランスと言ってもよいだろう。日本人には「天の願い」とでも書いたほうがしっくりくる人も多いかもしれないが、それはどちらでも同じことである。いずれにしてもこのバランスは真の豊かさに進むための、最も自然で、最も確実なバランスである。