生き方モデル

才能や能力への誤解

 前回、人生の目的(使命)とは?について簡単に説明しましたが、使命に気づくことを妨げているものには、その種(タネ)となる「才能」についての誤解が背景にあることも多いです。それはどんなことでしょうか?

 動物の学校を例えにすればわかりやすいです。

(例)動物たちも学校を持っていました。カリキュラムには、走る、登る、飛ぶ、泳ぐなど様々な科目があり、すべての動物がすべての科目を学んでいました。

 アヒル君は、泳ぎが得意で飛ぶことにもそれなりの能力を見せましたが走る事は全くだめでした。そこでアヒルくんは得意な泳ぎのクラスを捨ててまで走りに専念することにしました。その結果泳ぎの能力は人並み程度に落ちてしまいました。けれども先生や他の生徒たちはもうアヒルくんの飛び抜けた泳ぎの能力に脅かされることがなくなったので以前よりも快適に過ごせるようになったと言って喜んだのでした。

 一方、ワシくんは問題児と見なされていました。例えば木登りのクラスでは誰よりも先に木のてっぺんに到達することができたのですが、それは彼にしかできない独自の方法を使ったためでありそれが問題視されていたのです。そのような態度を改めるため厳しい処置がなされましたが、結局ワシ君は木登りのクラスに非協力的であったとして停学処分になりました。

 うさぎくんは走りのクラスではダントツのトップでしたが他の科目に関しては明らかに平均以下でした。何とか他の科目でも平均以上を取りたいと考えた彼は、泳ぎのクラスでの過剰な居残り練習が災いしノイローゼのために学校を休学しなければいけなくなりました。

 カメ君はすべてのクラスで落第点でした。甲羅が邪魔になっているに違いないという判断が下された結果彼の甲羅は取り外されることになりました。おかげで走りのクラスでは進歩が見られましたが悲しいことに休み時間に馬くんの蹄の犠牲者となってしまいました。

才能や能力に関する誤解

1、生まれながらの才能というものはない。すべての技能は経験で習得される。
2、習得すべき技能はすべて、基本的には○○教室等で学ぶべきものである。
3、もし能力を持っているなら、本人はそれをちゃんと自覚できているはずだ。
4、大多数の人(天才など特別な人以外の人)は、ごくわずかな才能しか持たされていない。
5、才能があったとしても使える場所は限られるので他の才能をも身に着けなければならない。

 動物の学校がもっと違っていたら、動物たちはもっと自分らしく伸び伸びと輝いていくでしょうし、同じように私たちも、世間の常識や誤解に惑わされず、「自分はそもそもどういう存在か?」を知り、それに沿って生きることが使命の発見につながっていきます。
 
 昨今の人間の学校も、平均から外れた能力のデコボコがあり、なんとなくクラスに馴染めなくなるとすぐに「発達障害の疑い」などと思いこまされていく場合も多いです。

 私は現在、病院をやっているのですが、例えば天の神様から「もう一つ、別の分野で何か作っていいよ」と言われたら、「学校!」って言うかもしれません。

 いや、今の国会を見てると学校法人作るのは大変そうだから、やっぱり「寺子屋」ぐらいにしておきたいと思います(笑)。