生き方モデル

人生の目的とは?

 最近、外来診療の中で「使命って何ですか?」という質問がありましたので、今日はそれについて、復習の意味で少し書いてみようと思います。
 人にはあらかじめ持って生まれた人生の目的と、その後の人生でそのことに気づくためのプロセス(偶然が織りなす人生経験)が用意されています。あらかじめとか偶然と聞くとすべてが運命論のように思うかもしれませんが、決してそのような狭い意味ではありません。
 人には自由意志も与えられているので、自由な選択が可能です。しかし、あらかじめ与えられている良いものへの気づきとその人の生き方次第で、実りある人生を送れるかどうかが決まっていきます。それはどんなことなのでしょう?

人生の目的(使命)の本質

 多くの人は、人生の目標を設定する時に、使命ではないものを目標にします。たとえば、次のような目標です。

「使命ではないもの」

・いい会社の社員になる
・なんでもいいから定職を得て安定した生活をする
・多くの資格や技術を得る
・お金を貯める etc

 これらは目的ではなくいわば手段であり、使命とはいえません。人生の目的、つまり使命とは、人が生まれながらに与えられているものです。それは天からの恵み(良いもの)という偶然と、そして自分の経験と歩みによって見えてくる(気づく)ものです。そして、全ての人に共通する使命の本質は、「世の中を良い方向に永続的に変革していく」です。

 使命とは、たとえば、次のようなことです。

「使命の例」

・健康的な食べ物を多くの人に紹介・提供して、人の健康を守る
・子供それぞれに合った教育をしっかり行い、健全な世の中、未来の社会をつくっていく
・多くの人に豊かさの本質を伝え、人々の幸福に貢献する
・業界の古い常識や慣習をよりよいものに変化させ矛盾や問題を解消する
・チームやグループの潤滑油あるいは縁の下の力になるような働きによりそれを成功に導く etc

 使命に進む時は、ワクワクしますし、人に喜ばれ、楽しみでもあります。つまり、仕事と社会貢献と遊びが一体となったものが使命です。

 使命に進むことで、自分の才能・能力・役割・知恵が活用され、自信もつき、セルフイメージもどんどん健全になっていきます。そして物事も自然に良い方向に進んでいきます。

 本人はもちろん、周りの人にとっても良いことです。使命に進むことが唯一の人生の実りへの突破口といっても良いでしょう。まずは一歩、使命に踏み出してみることです。歩み出してみることで冒頭に述べた「あらかじめ」とか「偶然」にも意味があることがわかるようになっていきます。そしてさらには、それらすべてが必然のように感じられるようにもなっていきます。

 使命が大切だということが分かったとしても、世の中には間違った使命の概念が多いです。たとえば、次のような間違いがあります。

「人生には本来、目的はないが、人は目的がないと生きていけないから使命を作ろう」

 これは本質的に間違いです。「使命は生まれながらに与えられているもの」だからです。「使命とは作るもの」とすると、「有名になる」のような、使命にはならないものを使命にしてしまう可能性が高くなります。

 今まで、使命とは「世の中を良い方向に永続的に変革していくもの」と表現してきましたが、もう少し突っ込んで表現すると、次のようになります。

 「使命とは、自分の” 外側”と” 内側”を、より良くしていくこと」です。

「自分の外側」とは、「世の中を永続的に良い方向に改善していくこと」です。
「自分の内側」とは、「自分自身の内面を磨くこと(不安や恐れや欲ではなく愛や感謝を動機にすること)」です。

 自分を磨くとは修行ではなく、自然なその人らしさ、持って生まれたその人なりの資質や品性を、さらに整える、高めていくという表現が近いです。

 そして、その両方(外側と内側)がリンクしだすと下記のようになります。

・人生に意味が与えられ深まっていく
・人生がよりシンプルになる
・人生の焦点や方向性が定まっていく
・人生にますます良い動機(やる気)が与えられていく
・人生は豊かになり多くの実りを得ていく

 東日本大震災の後、多くの人が、日本を良くして世界を良くするという思いや活動を開始しました。大震災が、使命に進むというスイッチを押したからです。自分の使命に気づいた人が多かったのです。
 これから、使命に進むことに促されるような、それに気づかされるような、さまざまな出来事がさらに増えてくると予測しています。なぜならば、それが今の激動の時代に起きてくることの意味だからです。

 心揺さぶられてあらぬ方向に進んでしまったり、ただ漫然と過ごしてせっかくの気づくチャンスを見逃したりしないようにしたいものですね。でもあせらないことも大切です。人生というものは、間違って、失敗して、また間違って、そこでようやく何か違うな~と気づく、最終的に気づきさえすれば、そんなペースでもオーケーですから。