
物の見方、考え方で、見える世界は変わっていきます。見える世界は視点次第でまったくちがっていくものです。今回の講演でも「ま、いいか」と思えた時に違うものがみえてくるというお話をしました。しかし、なかなかそういうふうには思えませんという方もいるでしょう。今日はそれについて参考となるある手紙を、例として上げてみます。
本文
拝啓、お父さんお母さん、お元気ですか?ずいぶん長い間手紙を書かなかったことをお許しください。
実はある晩、大学の寮に何者かが放火して火事になり全焼してしまったのです。そこからがとても大変な日々でした。でも私の主治医は私の視力もいずれ回復するだろうと言ってくれています。救出されたのは幸いでした。
その火事が起こったとき、私を助け出してくれたのは太郎君と言う優しくて素晴らしい男性でした。
そして彼は私の寮の立て直しが終わるまで近所の彼の実家に私を置いてくれると申し出てくれたのです。
太郎君の家族はとても素晴らしい人たちですから、私たちが結婚すると言ってもびっくりしないでくださると思います。
そしていつも口癖のように孫の顔が見たいと言っていたお父さんとお母さん、実は秋にはおじいちゃんとおばあちゃんになりますよ。
追伸
上の文章は追試験のための作文練習用ですので無視してください。
実は、実際には火事もなかったし入院もしませんでした。もちろん妊娠もしていませんし、付き合っている人さえいません。私は普通にとても元気です。そして真面目にやってもいますよ。
ただ単位試験で良い点が取れず、進級出来るか微妙です。ひょっとすると留年するかもしてません。これについてお父さんとお母さんに適切な見方をしていただきたかっただけなのです。このことのショックをやわらげてあげたいと思ったのです。
さていかがだったでしょうか?本文があるのとないのでは、事実の受け止めが変化すると思いませんか?これを読んだ両親はきっと複雑な心境だとは思いますが(笑)、すくなくともたとえ留年が決まってもショックはやわらいだのではないでしょうか。
私たちは普段、あたりまえのことに感謝したり出来ないでいると、いろんな出来事に過剰に反応して心揺さぶられてしまうものです。
というわけで、私の外来診療においても不登校のお子さんを持つご両親の不安や焦りはよく見る光景なのですが、初期治療は「学校に行けなくても、ま、いいか」と受け止めることの大切さから始まります。そして、親や教師の不安や焦りをやわらげていくことに多くの時間を使うことが多いのです。
なぜなら、不登校も留年も「最終的には人生の益となる」ことを知っているからです。
きっと私のような楽観的な精神科医もめずらしいかもしれません。しかし、患者さんからは「そこが先生の良いところですね」と言われたりもします。(「そこだけが・・・」とわざわざつける方もありますが・・・笑) いずれにしてもありがたいことだといつも感謝しています。
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