批評評論

福祉制度 生活保護政策は本物か偽物か?

 現行の福祉制度が人間にとって真に重要なものを提供できず、逆に格差を固定化する性質を持つ偽物だと考えるようになったのは、アマルティア・センの潜在能力アプローチを知ってからである。アマルティア・センは、人間にとって「潜在能力」(ケイパビリティ)の平等こそが重要であると主張する。「潜在能力」とは、ある人が価値を見出すことの出来る様々な状態や行動において人が選択できる様々な「機能」の組み合わせを意味している。つまり「潜在能力」とは「機能」のベクトルの集合からなり、何ができるのかという範囲を表し、そして、個人の福祉を「達成された機能」ではなく「達成するための自由」で評価しようというのが「潜在能力アプローチ」である。

 単に「最終的な結果やゴールの達成」に焦点づけるのではなく、人々の暮らしの中での実際の「資質」や「機能」や「機会」の多様な組み合わせに焦点を合わせながら、より本質的な意味での「選択する自由の幅」を扱うのである。「潜在能力」に含まれる「機能」は、単に実現されたものだけではなく、潜在的に実現可能なものまで含まれ、潜在能力は、豊かな社会構造にとって本質的に重要なものであり、重要な選択肢から真の選択を行うという人生は、より豊かなものであるとみなされる。

 現在の生活保護制度や障害者福祉政策などで見られる厚生経済学では功利主義の価値概念が主流であり、効用の個人間比較を前提としている。しかし、すべての機能を効用に貢献する前提で評価してしまうことは、他の重要な客観的な有様(例えば、どれほど長生きできるか、病気にかかっているか、コミュニティの生活にどの程度参加できるか)を無視したり、それとかけ離れていたりすることが十分にあり得る。
 また、心理的に貧困や困窮状態を受け入れてしまっている場合、願望や成果の心理的尺度ではそれほどひどい状態には見えないかもしれないし、そもそも長い間、貧困や困窮した状況状態に置かれていると、その人は嘆き続けることをやめ、小さな慈悲に大きな喜びを見出す努力をし、自分の願望を控えめな(現実的な)レベルにまで切り下げようとする。実際に、個人の力では変えることのできない逆境に置かれると、その犠牲者は、達成できないことを虚しく切望するよりは、達成可能な限られたものごとに願望を限定してしまう。このように、個人の困窮の程度は個人の効用の尺度には現れない。

 精神的・心理的機能において、たとえば自尊心は「複雑な機能」の一例としてあげられ、「自尊心が持てる」「自尊心を感じられる機会を持っている」ことは、関心を寄せるべき重要なケイパビリティである。逆に言えば自尊心の欠如は広義の「貧困」と考えうる。そういう意味でも、あるいは一般的な貧困の理解においても、身体的・精神的障害はしばしば過小評価されていて、彼らは最も「機会」を奪われてきているだけでなく、しばしば最も無視されてきた。たとえば、単なる基本財としての自立支援や年金の給付あるいはその後の選択肢の乏しい福祉的就労機会だけでは、広義の意味での貧困は解決されない。給付や機会を決定する制度を、人間の潜在能力を豊かにする(自由の幅を拡大する)ためのものに改変できて初めて本物と呼べるものになるであろう。