生き方モデル

古代と現代 どっちが豊か? そもそも「真の豊かさ」とは?

 文明の発達した現代の方が豊かに決まっているなどと考える人は(というより、理屈ではそうとしか思えない人も、実際に自分が豊かだと実感できている人は)むしろ少ないのではないか?しかし、それでは、空想や想像を交えてみても、古代のほうが豊かだったと単純に言い切れる人も少ないだろう。
 その時代その時代でいろいろ、同じ時代であっても人それぞれでいろいろだったという人も多かろう。それはそれで事実としてそうだったし、現代においてもそう考えてしまう人もいる。しかし、こう考えた途端にそれ以上の言うべきことはなくなり、思考停止に陥る。思考停止に陥るような結論は、それこそ豊かではなく、むしろ貧困な考えだと言える。
 豊かさいろいろが現実だとしても、それはなぜそうなってしまうのか?という問いへの、それこそ豊かな切り口が大切である。そこで当ブログでは「真の豊かさ」を下記のような切り口でシンプルに定義したい。

下記の3つの豊かさがすべてそろうことを「真の豊かさ」と言う。

1、物質的な豊かさ  お金やモノの豊かさ
2、精神的な豊かさ  充実感がある・感謝される・社会的意味を感じる
3、霊的な豊かさ   神(天)に生かされている(自分が神や天に愛されていることがわかる)

 どんなにお金があっても、知識があっても、地位が高くても、社会貢献していたとしても、素晴らしい人格であったとしても、文明が高度になっても、この3つの豊かさが分からないと、真に豊かさが分かったことにならないのではない。逆に、どんなに古代人が神々と共に平和な生活を営み、霊的に豊かであったとしても、いつも生存の危機にさらされ、食料の確保や便利な道具がない状況での生産は社会として(共同体として)不安定であっただろう。

 ただ、ここで重要なことは、実際に人類は、霊的な豊かさを知ることからスタートして、精神的な豊かさ、そして物質的な豊かさへとその営みをつなぎ、今日まで繁栄してきたという事実である。現代における個人の人生過程も同じである。金儲けに走っても幸せにはなれず不幸な金持ちは多い。その時々の自己充実感や他者からの承認欲求だけ求めて社会貢献しても、独りよがりになり長続きしない。つまり、3からスタートすると1は得られにくい。
 しかし、霊的な豊かさを知り、たとえ悲しみや苦しみの淵にあっても、自分が霊的に生かされ、愛されていることへの気づきとともに人生を歩めば、自然に共存共栄への道へと開かれることにより、精神的そして物質的な豊かさを得ることになる。つまり1からスタートすると2へと進み、そして3も手に入ることになる。にわかに信じがたいという人もいるかもしれないが、これは一つの真理だと思っている。
 これを読んで「そうだそうだ」と共感する人もいれば「ピンとこない」人や「にわかに信じがたい」という人もいるだろう。しかし、語弊やお叱りを覚悟に言えば、その感じ方そのものが、今のあなたの豊かさへの感性を表しているかもしれないということである。